俺の両親は、エホバの証人という宗教をしてました。していたと言うより、とにかくめちゃくちゃ熱心にしていたと思う。
というか、今もしている。
そんな両親に育てられた俺は、もちろん その世界しか知らずに育った。
そんな私は25歳の時、エホバの証人という宗教をクビになった。そして沖縄に引っ越した。というか、逃げた!
今日はそんなお話し。
目次
エホバの証人を25歳の時クビになった話し
私の母は、子供を褒めるのがうまかった。
俺は褒められると、空にも登っていくタイプやったから、子供の時からめちゃくちゃ おりこうさんやった。
宗教をしていると言っても、普通の宗教とは かなり違った。よく家にいたら、ピンポーンとまわってくる宗教、ありません?
駅前とかで、雑誌持って立ってる人たち。あの布教活動を、俺は生まれた時からほぼ毎日 、クビになる24歳まで熱心にしてた。
集会で
あと集会というのもあって、週に3回100人ほど集まって、2時間くらい 話しを聴くんやけど、普通は子供ってじっとお座りとか できへんやん。
俺は3歳くらいの時には、2時間 静かに座って話しを聞いてた。うまれた時から、そうやって教育されてたから当然やん。
布教活動で話しを聞いて、関心を持って初めて集会に連れられて来られた人は、その会場で3歳の俺が静かに座ってるの見て、感銘を受けるんですよ。
『どんな教育をしたら、こんなおりこうさんに子供は育つんやろう。それに引き換え、うちの子は走り回ってた言うこと聞かないし』と。
『聖書を学んで、親が実践して子供に教えると、こんなふうになるんですよ』と聞くと、もうこれはすごい教育だ!ってなる。
小学生の頃から、俺は5分くらいの話しを作って100人位の人たちの前で話す訓練を受けてた。
集会に連れてこられた人は、小学生の俺が立派に人前で話すのを見て、
すごい!となる。
それに引き換えうちの子は 、と勉強を始めた人もたくさんいた。
そんな俺やったから、文章を組み立てて考えて、スラスラ書く事なんて全く苦にならんかった。
だから今でも、こうして書くことが好きなんやと思う。
私がエホバの証人をクビになった理由
破ってはいけない掟
そんな世界をクビになったのは、俺が24歳の時。とにかく教えが厳しかったから、してはいけない掟がたくさんあった。
- 誕生日お祝いしたらあかん
- クリスマスお祝いしたらあかん
- 輸血したらあかん
- 柔道などの格闘技あかん
- 同じ宗教以外の人と遊んだらあかん
医療関係の仕事をしてる人は、ピン!と来るやろう。あ、あの宗教やなと!
さらには
- エロ本見たらあかん
- 結婚してないのにエッチしたらあかん
とにかく無数に掟があった。
週に3回 、あと家庭でも毎日教育されてたから、なぜしたらあかんのか、俺はすらすらと聖書から説明することができた。
そして教育というのは怖い、本当に自分たちは 自由だと思ってた。
俺は母乳で育ったから、元々おっぱい好きやったんやろう。ある時、好きな人ができて エッチをしてしまった。
そして、とんでもない事をしてしまったと、わざわざ トップに報告しに行った。
とにかく 純粋やったんやろう。
ただ 竹田家は大騒ぎになった。
そして俺は 裁判にかけられた。何をしたか、事細かに説明させられた。自分から言いに行くくらいやもん、反省していたにも関わらず、その宗教をクビになった。
独身はエッチしたらあかん!という掟
クビになると言うことは、一切の交流を絶たれるという事。口もきいてもらわれへん。街中で会っても 昨日までの友達と話す事もできへん。
昔から 学校の友達とは、放課後に遊んだ事なかったやん。遊ぶのはいつも、同じ宗教をしてる子供たち。
- 同じ宗教以外の人と遊んだらあかん
これを守ってた俺は、ある意味 世の中の事 一切知らんかった。
- テレビも家にない
- 流行りの音楽知らん
- 宗教以外の友達と遊んだらあかん
そんな、24年間を過ごした人からすると、そこを追い出されると言う事は、死活問題やったんですよ。
月に住んでたのに、追い出されて地球に来たみたいな感じ。地球のことが、何にも分からん!
クビになる事の意味
親父は仕事を辞めるくらい、熱心に活動していたし、その宗教の中でもいつのまにか立場も上やったし、竹田家は家族で熱心やったから、関西でもかなり有名やった。
竹田さんの息子さん、で 俺はその世界で、いつもチヤホヤされとった。
家で褒められ、まわりの人たちからも褒められ、俺はめちゃくちゃ 天狗やったと思う。
クビになるという事は全ての友達を失うという事
そんな俺が、ある日突然 ひとりぼっちになった。幼なじみも、友達も仲良かった家族も、ぜーんぶ失って ひとりぼっちになった。
宗教に戻りたくても 戻られへん。破門されるということは、今後何年かかって戻れるかは分からん。かといって、放り出された世の中に順応もできへん。
頭が おかしくなりそうやった。
神様って、こんなひどい事するん?と思った。神様がお父さんやったら、俺はその子供やと思ってた。
子供が悪いことをして正しいことをしようとしたのに、家から追い出すとか あるんかなと思った。
まるで 宮迫の記者会見やん。
有名やった俺は、どこに行くにも 街中で誰かに会った。いたたまれなかった。
日本の中で、知り合いがいない所に逃げたかった。関西はあかん、知り合いだらけや。東京もあかん。北海道もあかん。
俺はオーストラリアにも住んだし、世界中に宗教の知り合いがおった。
俺の事、一切知らん場所は、
唯一 沖縄しかなかった!!
沖縄へ
俺は軽自動車ムーヴに荷物を積み2005年5月16日、行った事もない沖縄に行ったのでした。
25歳の俺の、第二の人生が始まったのでした。
俺は世の中の人たちは、犯罪を犯したり タバコを吸ったり、とにかく悪い人たちばかりやと教えられとった。
そもそも下ネタとか言った事なかったし、普通の人と どう会話していいか分からん。
そんな俺に、沖縄で最初に一緒に働いた
かりゆしホテルのみんなは、とにかく 温かかった。
あの人たちに出会ってなかったら、今の俺は ここにおらんのです。とにかく 感謝しかないのです。
明日はそんな沖縄の話しを。
写真は オーストラリアにて
もう会えない人たちとの写真。
続きは