俺は25歳の時、宗教をクビになった。
そして名護市に家を借りれたものの、実は 仕事を探すのに苦労した。
俺は 宗教をクビになったけど、必ず戻ると決めて沖縄に行った。その世界しか知らん人生だったから。
→《実話》『私、カルト宗教をクビになりまして』(その5) 沖縄に引っ越したのに仕事も家も見つからない!
目次
エホバの証人に戻りたい
戻るための条件
実は宗教をクビになる時 、戻るための条件を告げられていた
- 「毎回集会に出席すること」
- 一人で家で聖書の勉強をする事
- 排斥の期間は一切未定
俺は沖縄に引っ越ししても、集会には ちゃんと出席して、反省している事を証明したかった。いや、しないといけなかった。
何の反省?
女子と エッチした反省!笑
王国会館の場所
調べたら 名護市の羽地に、集会の場所があった。王国会館という名前の建物が全国に、そして世界中にある。
そこに行って事情を説明し、俺は 大阪でクビになった事、これからは 週3回出席したいと伝えた。
ポツンと座り耐える
もちろん 沖縄で集会に行っても、みんなから もちろん口をきいてもらえない。挨拶してもらえない。俺は いない存在になる。
会場の1番後ろに、イスをポツンと置かれ そこが2時間俺の場所。辛かったけど
、知り合いがおらんのは気が楽やった。
仕事を集会に合わせる
名護は 火曜と木曜の夜、あと日曜の朝が集会の日やった。つまり沖縄で仕事を探すには、その日 必ず休ませてもらえる職場じゃないと あかん。
そんな都合のいい職場、沖縄の北部に ある訳ないと思うやん?
それがかりゆしホテルやった!笑
かりゆしのベルの求人バイト、17時から22時半。面接の時、火曜と木曜の夜休みたいと言ったら、先日辞めたバイトの人も、同じ日に休んでいたと言われた。
かりゆしの採用の条件は、「土日必ず出勤してくれたらいい」めちゃくちゃ 緩かった。
日曜は朝集会やから、夕方の仕事にぜんぜん間に合う。
多分やけど、辞めたなかがわらさんという人は、俺がクビになった宗教の人やったと思う。
だから なかがわらさんも火・木 休んでたんやろう。だから俺と 、雰囲気も似てたんやろう。
初めての人生の休暇
俺は宗教をクビになるまでは、毎日めちゃくちゃ 忙しかった。
仕事・布教活動・集会・家の勉強、365日 ゆっくりする暇がなかった。それがクビになり、朝から仕事の時間まで、毎日がめちゃくちゃ暇になった。
沖縄で1人 友達もおらん俺は、何をして このぽっかり空いた時間を使えばいいのか、分からんかった。
友達ができる
俺がホテルで働き始めて2週間後、平良がバイトで入ってきた。俺はなぜか
この平良と、あとゆっきーと仲良くなった。3人とも 歳が近かったからやろう。
休みが合えば、沖縄の色んな所 3人で遊びにいった。俺はオーストラリアに住んでたから自炊ができたし、料理ができた。
よく名護のジャスコで安い肉買って、俺が料理して 夜は宅飲みしながら3人で映画を見た。
そのうち 新入社員で、はなえが入ってきた。4人で久高島に泳ぎに行ったり、なんか あの頃は毎日楽しかった。
世の中に馴染みだす
世間のこと、何も知らずに沖縄に来たのに、いつの間にか 俺はこの世界に馴染んでいた。
日・火・木は集会で口をきいてもらえない時間過ごし、仕事中や休みの日は、ホテルのみんなと ワイワイやっていた。
それでも俺は、、必ず戻ると決めていた。シカトされながらも 休まず集会に通った。
沖縄コンベンションセンターで、何千人と集まる大会にも ちゃんと行った。
一年前までは、俺は何千人の前で話してりする側の立場やったのに、一年後は沖縄でこそこそっと座ってた。
反省期間1年
そうした生活が1年ほど過ぎた頃、俺は 反省文を書いた。『1年反省しました。戻らせてください 』みたいなやつ。
両親にも、1年がんばって集会に通ったよ と言った。
そう 俺はがんばった。
よく1年 シカトされながら通ったと思う。
反省却下
名護の集会所で裁判があった。過去に何をしたのか、沖縄の偉い人たちは知らんから、一から説明した。
というか、戻りたいと言えば、元々俺がいた大阪の集会所に連絡が入り、どんな事でクビになったのか調べられてる。
そして 結論は、
「まだ 戻るのは 早い。
もう少し様子をみましょう」やった。
俺が集会で話される事を、ちゃんと メモしてなかった。ただ聞いてただけやったから とも言われた。
そして一年前と同じことを、また言われた。これはもう、2度と同じ罪を犯さないための、愛ある神からの懲らしめだ と。
エホバの証人なら戻れなかった
一年がんばったら戻れると思ってた俺は
、それはそれは 落ち込んだ。
家で一人、死ぬほど泣いた。反省するって どういう事なん?誰か 教えて?
両親に 「戻れなくて ごめん」と言った。
俺がヤケクソになって、とんでもないことするんじゃないかと親は心配していた。
そしてそれから2度と、俺は集会に行かなくなった。26歳の時だった。
絶望を味わう
あの時は、絶望しかなかった。
だけど あのおかげで今の俺がある。
あの日 もしも、もしも宗教にすんなり戻れていたら、今頃 俺は熱心に活動してるやろう。
今知り合ってる友達とは、会うことすらなかったやろう。そうして歳をとり、あの世界にずっといたやろう。人生というのは、そう考えると 本当に面白い。
続きは
私は、身内で1人だけクリスチャンです。
初め家にピンポンて来たエホバの証人さんから話を聞いて、神様を信じたけど、離婚して実家に帰ってから、
エホバの証人は、キリスト教三大異端の一つと知って、即効、
普通のプロテスタント教会の、福音派聖霊派に乗り換えましたね!
輸血あかんなんてないし、
柔道OKオッケー、
おまけに、わたしは、同性愛者のレズビアンですが、
別に怒られることもなし。(笑)
父子聖霊の三位一体を、脳みそを書き換えるのにはちょっと混乱しましたが、今は大丈夫です!
普通の教会は、服装も普段着だし、献金も自由やしほんとの自由ですね。
エホバの証人さんはイジメとか仲間はずれとか多くて病む人多いとか聞きました。
その後どうなったのか?
知りたいです。(笑)
コメントありがとうございます。
そうなんですね、そんな過去があったんですね。
私の場合は、生まれた時からその環境だったので、疑いを持つとか ここが変だなとか思わずにずっと来ましたね。
クビになってから、考え方を180度変えるのは大変というより、私の場合は何をしても楽しかったです。全部 初体験の連続で、毎日ワクワクしてました!笑
その後は、今後も書いていくので、楽しみにしていてください。