俺は25歳の時、沖縄に引っ越してきた。ていうか 「逃げた!」が正しい。
沖縄なんて行った事ないから、当然どこに住めばいいのか、どんな仕事をすればいいのか 全く分からへんかった。
そんな状態でも、俺には沖縄に引っ越さないといけない理由があったんです。
エホバの証人を25歳の時クビになった私が、沖縄へ引っ越した理由!
目次
沖縄に引っ越しても仕事も家も決まらない
県外からの移住は大変だった
那覇に着いて、まず不動産屋さんに行った。「勤務先が決まってないと貸せないですよ」と言われた。
求人を見て電話したら、「現住所が決まってないと厳しいです」と鼻から断られた。
数ヶ月前までは、世界のどこに行っても、現地の集会に行けば 誰かが助けてくれた。
オーストラリアでも、住む場所から ごはん行くのから 全部助けてくれた。日本中に友達がいたし、仲間がいるって めちゃくちゃ心強かった。
だが それが もうできへん。
俺は 犯罪者なのだ。
頼る人がいない心細さ
頼る人がいない、1人ぼっちの自分に気づいた時、死ぬほど心細くなった。そして初めてホテルで 声を出して泣いた。
泣いても泣いても、結局 俺が悪いんねんと自分を責めた。仕事も家も決められず
、俺はこれから どうしたらいいんやろう。
急展開
次の日、58号線を初めて北上した、行ける所まで 車で走ってみようと思った。
浦添を抜け、北谷を過ぎ 読谷村に入って
、ちょうどルネッサンスホテルに来た時やった。
絶景
その日は、めちゃくちゃ天気が良かった。58号線のルネッサンスの辺り、那覇から向かうと パーっと海が広がる所がある。
その景色が、生まれて初めて見る 最高に綺麗な沖縄の海やった。運転しながら、なぜかガッツポーズがでた!
それくらいその景色は綺麗やった。そして何でか分からん、俺は何か良いことが起こる気がした。
那覇より北部に住みたい
そして俺はその時 、「ここでならやっていける。この海を見ながら毎日住みたい」と本気で思った。
その後、恩納村の58沿いを走ると、もう やばいほど 海がきれいやった!その日撮った空の写真が、俺はすごく好きだ。
俺は都会の那覇に住む事を、即座にやめた。俺は恩納村か北部に絶対住みたい!!
家を借りれる
そのまま名護まで行って、たまたま入った 名桜不動産という所。
明日から住んでいいですよ!
仕事はそれから決めてください!と その日に家が決まった。
築4年のワンルーム、駐車場込み 2万7000円!!!
俺はなんか分からんけど、最後に めちゃくちゃ ツイてた。
仕事が決まる
沖縄の北部は、求人がめちゃくちゃ少ない。宗教をしていた時は、お米屋さんでバイトしかしてなかった。
だけど、とにかく沖縄は産業が少ない。名護とか恩納村の求人で見つかるのは、ホテル業界ばかりやった。
ブセナホテルは断られたけど、かりゆしホテルという所で即採用された。
リゾートホテルのベルボーイ、時給800円 交通費無し、家賃2万7000円なら 全然暮らせる。
たまたま、男のバイトが辞めたばかりで 俺は入れた。なかがわらさん、というバイトの人が辞め、次入ってきた俺は、その なかがわらさんにメチャ似てたらしい。
なかがわらさん!とホテルのみんなから笑いながら俺は呼ばれた。
かりゆしホテルのホテルマンへ
リゾートホテルのベルボーイ
そのホテルのベルのスタッフは、みんな めちゃ仲良かった。そしてみんな 接客が最高に良かった。
色々ホテルで働いたけど、あの時のメンバーが 最高に良かった。
初の友達
そして働き出してすぐやのに、飲みに誘われ カラオケに行った。仕事中はみんな真面目やのに、飲んだら めちゃはっちゃける!
話してくれる人がいない毎日から、一緒になって 笑ってくれる人がいま俺の横にいる!
人と話せるって、こんなに幸せなんかと初めて知った!見ず知らずの俺に みんな温かくしてくれる!
ギャップ
世の中、悪い人ばかりだと教えられてきた俺は、そのギャップに正直 戸惑った。
いやいや
だまされたらあかん!
そう 俺はいつか、あの場所に 帰らなあかん!何年か頑張って反省したら、またみんなの元に戻れる!
でも‥とりあえず 今は もう少し
もう少しだけこうしてみんなと笑っていたい!
そうして、俺の沖縄生活が 始まったのでした。
続きは